はじめに
ご無沙汰しております、私です。 今年も早いものでAdvent Calendarの季節がやってきました。
『ゆゆ式』にとっては、2008年の連載開始からは16年、2013年のアニメ初回放送からは11年。このAdvent Calendarも2014年の初回から11回目になります。
日々、新しいコンテンツが出てきたりTwitterがXになったりした昨今ですが、連載はまだ続きそうですし、アニメ公式からも色んな供給をしていただけてますし、このAdvent Calendarにも参加していただける方々がいてありがたい限りです(まだまだ枠は空いてます!)
今年もいろいろありました
- 14巻発売!
- 面白さを更新していく14巻でした。表紙もナイス
- 「ゆゆ式」POP UP SHOPの開催
- www.volks.co.jp
- なぜか新しいグッズが展開され続ける不思議
- AT-DXで謎の特番放送
💖マヂラブのマヂでラブになるTV💖
— マヂラブのマヂでラブになるTV (@madiloveTV) 2024年5月10日
現在配信中「#ゆゆ式」編より
クイズコーナーの様子を一部公開⭐
本編は「AT-DX」で配信中⬇https://t.co/QMBnUCNIGC#オダウエダ #ガクテンソク #マヂラブTV pic.twitter.com/qzBZg2HHYg
- 14巻発売記念ストア in ゲーマーズの開催
- prtimes.jp
- なぜか新しいグッズが(以下略)
- 佐久間大介氏によるラジオでアニメのOP曲が紹介される
#ゆゆ式 OP曲
— 佐久間大介 (@SAK_SAK_SAKUMA) 2024年5月25日
♪せーのっ! / 情報処理部
は、いいぞ!!
#マテムり- ちなみに「ゆゆ式」は3文字なのでXのトレンドには載りにくいらしい
- 大久保瑠美氏による「セプテンバーーーーーーーーーー!!!!」
コホン、スゥゥゥゥ----( ˘ω˘)
— 大久保瑠美 (@rumirumi_81pro) 2024年10月31日
「セプテンバーーーーーーーーーー!!!!」#ゆゆ式 pic.twitter.com/nXDEUGnbye
- 佐久間大介氏による「ノベンバーーーーー!!!」から「#ゆゆ式大好き」タグが生まれる
ノベンバーーーーー!!!#ゆゆ式大好き
— 佐久間大介 (@SAK_SAK_SAKUMA) 2024年11月1日- 佐久間さんの拡散・影響力がすごすぎるのでゆゆ式Advent Calendarになんか書いて欲しさすら出てくる(おこがま死)
グッズ展開がアニメ側と原作側からで2回もあるのが謎に衰えない勢いを感じさせます。
本題:作品との向き合い方について
さて、今回お話ししたいのは『ゆゆ式』という作品に向き合うテンションについてです。 きっかけは、ゆゆ式に関して今年一番の反響があったと言ってもよい以下のツイートです。
ゆゆ式、ド過労で死にかけながら終電で帰ってテレビつけたらたまたまやってて生かされた経験があり俺の中では神格化しているが、数年後にヨメに勧めたところ「何が面白いか全然わからない」とコメントをもらい、そんなバカなことがあるかと見直したら何が面白いのか全然わからなかった
— 豚肉まぢか@87.8kg (-15.0kg) (@butaniku_soon) 2024年10月1日
この投稿に対して、多くの人々が『ゆゆ式』の魅力を言語化しようと試みました。しかし、それでもなお、その面白さを説明するのは難しいと感じます。
ゆゆ式の面白さ、私もずっと考え続けているけどよくわからないよ
— S治(えすじ) (@esuji) 2024年10月2日
(わかったような顔でお茶を濁す筆者)
しばらくしてから気付いたことは、この投稿への反応として行うべきだったのは、「同じ作品でも、見る人の状態によってこれほどまでに受け取り方が変わるということ」について考えるべきだったということです。そこで本記事では作品と向き合うときのテンションについて考えていきたいと思います。
『花束みたいな恋をした』に見る典型例
辛いときにすべての作品を楽しめるわけではない問題を端的に表現しているのが、映画『花束みたいな恋をした』のとあるシーンです。仕事が忙しくなり趣味のことを生活の中で考えられなくなった主人公 麦と今まで通りの生活を続けられている絹が衝突します。
麦:「ゴールデンカムイも七巻で止まったまんまだし。宝石の国の話だって覚えてないし。いまだに読んでる絹ちゃんが羨ましいもん」 絹:「読めばいいじゃん。息抜きくらいすればいいじゃん」 麦:「息抜きにならないんだよ。頭に入らないんだよ。パズドラしか、やる気しないの」
この会話は多くの人の共感を呼びました。映画『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』 でも唐突にこの場面良かったよねというおじさんが出てくるくらい本当にいい場面だと思います。 仕事や人間関係で疲れているとき、「頭を使う」作品はむしろストレスになってしまう。そんなとき、麦にとってのパズドラのような「今までやってきた知識でそれなりに遊び続けられる」コンテンツが心の支えになるのです。
発端のツイートへの補足と「経口補水液説」
先の投稿者は、その後このような補足もしています:
なんかこれを俺がゆゆ式disってるって捉えてる人がいたけど、バカヤロウお前そういう低次元の話してねえんだよボケがよ〜!キキだってジジの声が聞こえなくなったし、サツキやメイも大きくなったらトトロもまっくろくろすけも見えなくなるだろ。そういう話してんだよ。 https://t.co/hAkT9J8vP2
— 豚肉まぢか@87.8kg (-15.0kg) (@butaniku_soon) 2024年10月2日
この補足も示唆に富んでいます。この投稿への反応として、「健康なときには必要とされないが、具合が悪いときにはありがたい経口補水液のような存在」という表現が生まれ、『ゆゆ式』を始めとした美少女アニメ群を「経口補水液」とみなす表現は多くの共感を集めました。 togetter.com
受け手の状態分布と『ゆゆ式』の関係を考察する
しかし、「経口補水液」という表現は作品の一面しか表していません。実際には、前述のように作品を深く分析し楽しむ層も確実に存在するのです。 ここから、作品に向き合うテンションとして、「辛い」「そうでもない(中庸)」「積極的」のような高さ・低さが存在しており、それが作品の受け取り方と密接に関わっていそうだなと考えられます。今回の例で言えば、「中庸」の人には『ゆゆ式』の面白さが届きにくいのではないかと言えそうです。
感覚で言うと、テンションの高低をx軸、そこに属する人口をy軸に置くと正規分布のようなグラフになるのではないかと思っています。 テンションと分布のイメージ
娯楽との向き合い方は媒体によって異なる
私たちは様々な媒体で娯楽コンテンツに触れていますが、それぞれに適した「テンション」があるように思います。
例えば:
- テレビ:気軽に楽しめるアニメやバラエティ
- 配信:『地面師たち』のようなサスペンスや深夜に没入するドラマ
- 映画館:クリストファー・ノーラン作品のような没入感の高い作品
- 舞台・ライブ:その場の空気を共有する体験
- ショート動画:スキマ時間に気軽に楽しむコンテンツ
『地面師たち』を見るような真剣なテンションで『ゆゆ式』は見ないでしょうし、TikTokを見る時のような軽いテンションでノーラン作品は楽しめません。そのときの気分・体調に合った作品を選ぶことが、実は非常に重要なのです。
テンション分布から見えてくるもの
一般的な作品は、多くの人が楽しめるよう、グラフの中央部分をターゲットにしています。例えば、テレビで放送されるアニメの多くは、「普通の状態」で楽しめることを前提に作られています。過度に分析的な視聴も要求せず、かといって心が疲れている状態でないと楽しめないわけでもない。そういった「バランスの取れた」作りになっているわけです。
しかし『ゆゆ式』は違います。
面白いことに、この作品は分布の両端に位置する人々に強く響く傾向があります。疲れ切って何も考えたくない人と、逆に様々な要素を分析的に楽しみたい人。一見すると正反対なこの2つの層に、同じ作品が異なる形で楽しみを提供しているのです。
『ゆゆ式』の特殊性
具体的に見ていきましょう。この作品が「テンション分布」の両極端な層に強く響く理由は、以下のような二面性を持っているからです:
精神的に非常に疲れている人々(左端)にとって:
そして同時に:
非常に分析的な視点を持つ人々(右端)にとって:
- 作中の参照ネタの深さ(映画、小説、ゲーム、時事ネタなど多岐にわたる)
- キャラクターの心理描写の緻密さ
- 日常の切り取り方の巧みさ
- 三上小又先生独特の構図やコマ割りの研究対象としての魅力
- 15年以上の連載を経てなお保たれている作品の一貫性
このような二面性は、一見すると相反するものに思えます。分析的に楽しむための要素を詰め込みすぎると、癒やしを求める層には重たく感じられてしまう。逆に、優しさや穏やかさを追求しすぎると、知的好奇心を満たす要素が薄まってしまう。
しかし『ゆゆ式』は、この両立を絶妙なバランスで実現しています。それは、作品の本質的な部分に「自然体」があるからかもしれません。参照ネタも無理に押し付けず、心理描写も押しつけがましくなく、すべてが作品世界に溶け込んでいる。そのため、読者は自分の状態に応じて、作品の異なる側面を自然に受け取ることができるのです。
このような特徴を持つ作品は実は珍しく、それが『ゆゆ式』の独特な魅力の一つと言えるでしょう。作品が持つこの二面性は、決して矛盾でも欠点でもなく、むしろ人生の様々な場面で異なる形で寄り添ってくれる作品の懐の深さを示しているのかもしれません。
まとめ
今年一番の反響があったツイートから、作品との向き合い方について考察しました
- 同じ作品でも、見る人の状態によって受け取り方が大きく異なる
- 特に精神状態が作品の楽しみ方に大きく影響する
作品に向き合うテンションと人口は正規分布のような山なりに近い形で分布していると考えられます
- 多くの作品は分布の中央(普通の状態)をターゲットにしている
- しかし『ゆゆ式』は分布の両端に強く響く特殊な作品
『ゆゆ式』の二面性:
- 疲れている人には「経口補水液」のような癒やしを提供
- 分析的な人には深い考察対象としての魅力を提供
この相反する二面性を自然な形で両立させているのが『ゆゆ式』の特徴
- 参照ネタも心理描写も押しつけがましくない
- 読者の状態に応じて異なる楽しみ方ができる
結論として
- 作品との向き合い方は、その時の精神状態に大きく左右される
- 『ゆゆ式』は、その懐の深さゆえに様々な状態の読者に寄り添える稀有な作品である